でぶぅの日記

思ったことを思ったままに

でぶぅの自習室〜落合陽一は波動オタク

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こんばんは。でぶぅです。

 

落合陽一の話を聞いてきました。

前々から興味があったこともあり、リアルで話が聞けたのはよかった。

 

落合陽一は「波動」オタクであること。

「波」と「イルカ」が大好き。

波って音も映像(色)も触覚も、というか自然界のものほとんどが波かも。

つまり、森羅万象、全てが興味のあることでハッピーらしい。

好きなことを仕事(ライフワーク)にするをしているので、

この人を羨む人が多いのだな〜と思った。

 

人間をデジタル化していくというとロボット作るの?

ってイメージが強いかもしれないですね。

特に落合さんは耳と目を作ってるって感じです。

面白いな〜と感じることは、

これまでは大きなスクリーンに映し出された映像を大きな音で

みんなで見よう!というものでした。

今後はどんどんダイバシティの許容された世界になっていくと仮定すれば、

みんなバラバラの映像をバラバラの音を聞くようになっていきますよね?

だって視力も違うし聴力も違う。

おばあちゃんが見ているテレビって爆音ですよね!

人の網膜に投影してあげる。

耳元に音源を作ってあげれば、自分の聞ける音量で

自分の得意な言語で聞くことができる。

右耳は喋っている人の言語(ロシア語)で左耳は自分の聴きやすい言語(日本語)など

 

多様化(もともと多様化しているものを均一化することを近代は進めてきた)

が進むであろう今後、みんな違う人。みんなと同じでなくなっていく。

それをAI(テクノロジーや技術)が補っていくという考えは賛成派。

たぶん、おもしろくなる。

 

話は逸れるかもしれないが・・・

「耳で聴かない音楽会」というのをやったらしい。

曲はジョン・ケージ4分33秒。参加者の多くは聴覚障害者。

音波を感じると振動を与えるOntennaというデバイスをつけて鑑賞。

知っている人は気付いたかもしれませんが、この曲、音符が一つも描かれていない

無音の曲なんです。

流れている映像は指揮者に合わせてオーケストラが演奏していますが、実際は無音。

では、参加者が感じている振動は、人が歩く音、シャッターを切る音など

演奏とは関係のない音。

参加者は、故意に作られた音ではなく出てしまった音を聞き、

それを心地よいと感じたという。

ジョン・ケージはこの曲は「無音の不可能生」を説いているがまさに

生きていると何かを感じずにはいられない。

 

AIやロボットが人間のようなことができたり、人間を補ってくれるようになった時

人間の人間らしさって何かを考えてみる。

または落合陽一がアートをやる理由でもあるかもしれない。

それは美。

日本人的である一つの象徴「侘び然び(わびさび)」も一つだと思う。

侘びとは:表面は粗相であっても内面は丁寧に

然びとは:「内部的本質」が「外部へと滲み出てくる」こと

古くなったものは不要なものになる。つまりゴミができる。

これはもっと深く知りたいので勉強します。

 

落合陽一は、荘子の話をよくする。

胡蝶の夢

夢の中で胡蝶(蝶)としてひらひらと飛んでいたところ、目が覚めた時、果たして自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか

 

事事無碍(じじむげ)について

松尾芭蕉の句「古池や 蛙飛び込む 水の音」

事、事、事、つまり説明する言葉は一切ない。

でもこれを日本人は理解できる。

 

現象をどう捉えるかの歴史

近代以前は、どうしてこんな現象になるかがわからないので、

呪い。神の仕業。

近代は、科学によって解決した。理論で理解。

近代以降は、現象を扱うことはできるようになったが、

ディープラーニングのように解決はするがどうやって解決したかはわからない。

つまり、魔術化していく。

まだそのあとは、そうであることも認知されない。つまり自然となっていく。

これがデジタルネイチャーへの理解。(だと信じている)

 

ではどんな生き方?働き方?がいいの?

ストレスで考えよう。

できること、やれることを自分のストレスの低いものをやって生きよう。

(好きなこと、やれること、どうなれば満足かを理解すると生きやすい)

限界費用が下がっている。

つまり、挑戦しやすくなっている。

ブランド力だけでなく、

無名でも丁寧な仕事をする人に価値が集まるようになってきた。

 

テクノロジーを作り出す人間ではないが、

多様性のある世界になっていくことを前提にした時、

自分の取るべき行動を考えてみるのは早めにしたいね。