でぶぅの日記

思ったことを思ったままに

でぶぅのノーベル文学賞・川端康成を読む

 

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川端康成の「美しい日本の私」

こんにちは。でぶぅです。

毎月1回、倉敷市にある分福で開催している読書会。

今回は、川端康成の「美しい日本の私」

伊豆の踊り子」でもなく、「雪国」でもない。

何それ?って人も多いはず。

1968(昭和43)年にノーベル文学賞を日本人として初めて授与されました。

その時にストックホルムで講演した内容が「美しい日本の私」

本の最後には、同時通訳された英語も記載されてある。

(ギリギリまで「美しい日本と私」だったため、Japan the Beautiful and Myselfとなっている)

 

ざっくり言えば、日本の美意識について話している。

道元明恵、一休、と日本人でも解説が必要な内容からスタートする。

これ、聴衆の皆さんポッカ〜ん??だったのでは?

私も初見で読んだときは、頭に内容が入ってこない入ってこない。

ということで、今回の読書会は、グーグルさんと一緒に解読書会としました。

 

※ここからは我々が勝手に話した内容でエビデンスはありません。

 

道元さん(鎌倉時代の禅僧。曹洞宗を作った人)

「春は花 夏ほとどきす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」

日本は四季があって素敵よね〜。

日本人からすれば当たり前過ぎて、何の特色も描かれてないよね。

春は花? そりゃ、春になれば花は咲くし、綺麗だけど、何の花?

桜?梅?チューリップ?

道元さんは、大切なことは言葉を超えていると言うてる。「不立文字」

大切なのは自らが素直に感じること。言葉で表現できるものではないと。

自分が美に触れ幸いを感じる時、友と共感したくなるもの。

ここで言う友とは誰でも良い。人は人と共感し合いたいもの。

そしてそこに共感しあえる美の意識を皆、日本人は持っているという。

「雪月花の時、最も友を思ふ」と。

 

芥川龍之介は35歳で自殺をしています。

彼は死に近づけば近づくほど自然は美しく感じられると「末期の眼」で語る。

本当に?それはわからない。

川端は芥川のことを、自殺を賛美するものでも共感するものでもないと言っている。

(本人も自殺しているが・・・。)

芥川の「遺書」の冒頭で

僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。

 僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである」と書いている。

ちょっと共感しづらい気持ちもわかる。笑

 

トンチンカンちん一休さんの話。実は2度も自殺をしているらしい。

一休は「仏界入り易く、魔界入り難し」と言っている。

僧侶が悟りを開くのと同じく、作家もまた同じ心境にあると川端はとく。

この魔界については「舞姫」の中にも出てくるようだ。

良い行いをすることよりも、自分の思うように生きることの方が

とてもとても難しい。それを魔界だと言っているのではないか。

つまり、魔界=自分の道を進むからこそ、新しい・誰も見たことがない境地に

踏み入れることができるのだと。

ここはとってもわかるようで言葉にし難い。

だから直感に任せなさい。無涯無辺、無尽蔵な心の宇宙。

自分の道は自分一人で歩むものだと。

 

このあとは、いわゆる「侘び寂び」の話が続く。

一輪の花は百輪の花より華やかであると。

つまり「無」

無いものを見て、無いものの中に感じる華やかさ、豪華さ。

枯山水もしかり。もうすでに水は出てこない。

盆栽や盆石なども同様。これをウンウン、そうだね〜とみんな納得。

さすが日本人。

後半は川端の大好きな源氏物語

とってもとっても大好きなので逆に読みずらかったな・・・。

 

と、川端が届けた日本の美。

ノーベル賞には川端の他、谷崎潤一郎西脇順三郎がノミネートされていた。

西脇順三郎ってだれ?

シュルレアリスムなどの研究をしていた超エリートさんみたい。

川端が受賞した理由を選考員は、「日本の美について書かれている」と

評価していた。

 

またこの後の大江健三郎の「あいまいな日本の私」について話す気力なく

持ち帰りとさせてもらいました。

 

川端康成のすごいところは、1952年の千羽鶴から英語訳を作ってもらい

海外へ出していた。

このこともノーベル賞受賞の大きなキーになったのでは無いだろうか。

グローバルはすでに始まっていたというわけだ。

 

と、力尽きるかのように解散となった今回の読書会。お疲れ様でした。