でぶぅの日記

思ったことを思ったままに

映画「ゆれる」は何がゆれているか(もちろんネタバレって言うても、2006年の映画やで!見て!)

f:id:matsubaratatsu:20190324113512j:plain

いい映画だった

見た人同士があーだった、こーだったと話すると面白いだろうな。

物事はゆれているんですよね。事実なんてものはあるようでない。

多様な意見、見え方があるのは当然。

映画も、主人公も、見ている僕らもゆれている。

あらすじ

故郷を離れ、東京で写真家として活躍する弟・猛。母親の法事で久々に帰省し、兄・稔が切り盛りする実家のガソリンスタンドで働く昔の恋人・智恵子と再会する。猛と智恵子とは一夜を過ごし、翌日、兄弟と彼女の3人で渓谷へ遊びに行く。猛が智恵子を避けるように写真を撮っているとき、智恵子が渓流にかかる吊り橋から落下する。その時、近くにいたのは稔だけだった。事故だったのか、事件なのか、裁判が進むにつれて兄をかばう猛の心はゆれ、最後には証言台に立ってある行為を選択する。

ウィキペディアより)

 

殺人か事故か

「助けなくちゃ」と「殺してしまえ」の両端にあるような感情ではなく、

「自分の好きな人が死ぬなんて考えられない」と

「この人が死んでしまったらどうなるんだろう」と一瞬よぎるものはないだろうか。

もっと危ない方向にいってみようか。

この人の最後を決めたのは弟でななく私だ。死んでいく女性の姿は美しい。

(ここまでは映画では描かれていないので妄想)

つり橋で彼女が手を振りほどいた瞬間から、つり橋から落ちるまでの

兄貴の中にあるもの。ゆれる何かを法廷で表現できただろうか。

 

レッテルの中で生きる

レッテルは外から貼られるものでもあるが、自分で貼るものでもある。

自分はこういう人間だと決めてあげると居心地が良い。

役割を演じることも社会の中では大切だとも言える。

映画の中では、社会・つながり・絆、生きるとレッテルがどんどん無用になっていく。

アイデンティティは社会に依存している。

「あの人は責任感があって、優しい、人の気持ちがわかる人です」

なんと儚い、何も知らない人の言葉だろうか。

 

兄弟の絆

8ミリフィルムに映る兄弟・家族の姿。

一緒に過ごす時間と塗り替えられる記憶から絆は作られていく。

冷たいからもしれないが、幻想とも言える。

特に兄弟にとっては。情がないとは言えないが親子のようなものでもない。

弟のゆれる気持ちは、法廷の最後、証言で兄貴を殺人犯にする。

 

7年後・荒れた部屋の中、8ミリフィルムを見ている弟。

涙を流し兄貴との絆を取り戻しに車に乗る。

本当にあった絆?

もしかすると部屋の状況からすれば売れなくなり、

一人でいることの辛さから「つながり」を求めたのか。

 

セックスに関しては語らない

体内から精液が検出された。

このことで兄弟の間では動かぬ証拠ができた。

弟は大した罪悪感もなく、兄の好きな女と寝る。

元彼女ではあるが、もちろん復縁のつもりもない。

よくある話だ。そんなことを取り立てて問題にすることもないことが多い。

兄貴にとっては、違ったかもしれない。

弟に対する嫌悪感ではなく、自分に対する敗北感を強めることになった。

真木よう子の濡れ場が注目されるが、切ないシーンだ。

 

バスに乗ったのか・乗らなかったのか

最後のシーン、目が合いお互いを認識した兄弟。

私は乗らなかったとしか思えない。

乗ったと言う意見もあるだろう。

 

脚本と役者の凄さ

つまりは、これ!!!って決まっているようで決まっていないのが世の中。

「悲しい」という演技をしてください。

けど、その奥には悲しいと思っている自分を見ている冷静な自分がいる。

ところまで演技できるだろうか。人は揺らいでいる。

人は不確実で不確定なもの。裏付けられるのはそれ以外のもの。

 

結局、ゆれているのは?

世界はゆれている。私はゆれている。ゆらゆら。

 

 

どうな映画なの?って方は、こちらへ

www.yureru.com